日記・コラム・つぶやき

2019年12月27日 (金)

庭師に転身

 今週は伸び放題だったシマトネリコの剪定をしている。ほんとはもっと早く手をつけておかなければいけなかったのだが……。

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 始めたときはこんな感じ。ちなみに、モッコウバラのつるもジャングル状態になっていたのだけれど、そちらはこの時点では片づいている。

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 適当に枝をはらっていくと……。これ以上はノコギリを使わないと難しそうだ。突風が吹き始めたので、とりあえず午前中で撤収。ほかにもやらなければならないことがいっぱい残っているので、この続きは来年に持ち越しかな~^^;

2019年12月21日 (土)

クリスマスがやってくる

 それでも地球は回り続ける。クリスマスもやってくる。楽しみか、それともうんざりかは人それぞれではあるけれど……。

 今年も庭木の剪定のついでになんちゃってクリスマスリースを作ってみた。

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 ドーナツみたいな形のリースのベースは市販されているようなのだが、当然お金がかかる^^; お金をかけるのもなになので、のびすぎたハニーサックルのつるを適当に束ねて輪っかにする。ちょっといびつでも、最終的には問題はない……と思う^^;

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 クリスマスリースと言えば、エバーグリーンなコニファー。枝を払ったチャボヒバの葉っぱならいくらでもある。

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 ハニーサックルのつるに葉っぱをしばりつけていけば、なんとなくそれらしくなるのだった。

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 これで終わってもいいのだけれど、もうちょっと色味をつけようということで、100円ショップでクリスマスの飾りを調達。

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 そんなこんなで、できあがり。結局110円もかかってしまった。ナチュラルに赤い実でもくっつけたほうがよかったかもね……。

 

2019年12月20日 (金)

風の人を送る

 午前9時、多磨霊園のそばの葬祭場で師匠を送る。通夜も告別式もない直葬だった。奥様のご意向で「喪服ではなく、仁さんが見て誰だかわかるような服装で来てほしい 」との由。これにはぐっときた。なによりもそれが仁さんにふさわしい葬儀だったような気がするから。

困った人だね
気ままな風のように生きて
気ままな風のように去っていった

すてきな人だね
野原にたくさん種をまき
きれいな花が咲くのを見守った

うらやましいね
みんなに夢のかけらを届け
誰かがそれを受け継いでいく

でも私がもらったものは
もうしばらく こっそりとっておこう

きっと空が低すぎて
たぶん世界が狭すぎて
もっと高く もっと遠くに行きたくなったんだ

世界を少しだけ広げるために
あの人の好きだった歌を歌おうか
自分が少しだけ欠けたような気がする夜に

2019年12月19日 (木)

仁さんのこと

 「家が近いのが気に入った」
 まったりとした雰囲気の面談の末にこう言われて、私はジューンアップルで働くことになった。とくに経歴や能力を評価されたわけではなかったようだ。ともあれ、これが佐々木仁さんとの出会いになる。1981年の夏のことだ。

 そのころ私はコンピューターのプログラムを書いて暮らしていた。ほんとうは出版社かレコード会社に入りたかったけれどうまくいかず、ソフトハウスに就職したもののいまいちなじめず、もやもやした気分でいた。そんなときに目にしたのが、愛読していたブルーグラス・リバイバル誌に載っていた「スタッフ募集」の告知だった。

 意を決して電話をかけ、面接の約束を取り付ける。駒込にあった編集部を訪ねると、出迎えてくれたのが仁さんだった。それまで面識はなかったけれど、顔はよく知っていた。雑誌の記事やコンサートの司会などで、何度もお見かけしていたからだ。だから「本物の仁さん」に対面したときはちょっと興奮した。

 型どおりの質問はほとんどされなかったような記憶がある。なぜスタッフが必要かという編集部の事情の説明がほとんどだったかもしれない。家が近い以外に決め手があったのかどうかわからないけれど、とにかくその場であっさり採用が決まった。

 こうしてなんとか編集者になったのはいいけれど、理学部卒でプログラマーくずれの私には、右も左もわからない。レイアウトの指定、写真のトリミング、校正の赤字の入れ方、原稿の書き方など、すべて一から教わった。そうした技能はいまでも役に立っている。

 仁さんは思っていたとおりの人だった。フランクで裏表がない。気さくで誰とでもすぐ仲良くなる。ちょっと喧嘩っ早いところもあったようなのだが、私は一度も怒られたことはなかった。

 仁さんと共にすごした日々のことは、いろいろありすぎてうまくまとめられそうにない。あらためてふり返ってみると、私がリバイバル誌の編集部にいたのはたった1年足らずの期間にすぎないのだけれど、とてもそうとは思えないくらい、ずいぶんと濃密な時間だった。

 リバイバル誌がなくなってからも何度もお会いして、何かにつけてお世話になった。自宅に呼んでもらったり、いっしょにアメリカのブルーグラス・フェスにも行ったり。私のイベントにも何度も足を運んでもらった。

 最後に仁さんに会ったのは、つい1ヵ月ちょっと前だ。板橋で開かれた麻田浩さんのトーク&ライブのイベントに、私がゲストで呼ばれていたのを見に来てくれた。麻田さんとの旧交を温めるのが主な目的だったのかもしれないけれど、私のことも気にかけて来てくださったのだと思いたい。

 そのときはずいぶんお元気になられたように見えた。「年が明けたらイベントをやるから、お前も来てまたしゃべってくれないか」と、ありがたい言葉もちょうだいした。ほんとに実現すればよかったのにね。

 最後までお世話になりっぱなしで、結局恩返しはできなかったのが残念だ。ともあれ、ありがとうございました。ごゆっくりお休みください。

2019年11月25日 (月)

サブさんのこと

 戸籍上のお名前は井上三郎さんなのだろうが、旧姓の渡辺三郎さんのほうがなじんでいる。メールを差し上げるときにも、どちらのお名前を書いたらいいか迷ったりもした。そんなわけで気安くて申し訳ない気もするけれど、ここでは愛称の「サブさん」を使わせていただく。

 サブさんは、関西ブルーグラス界の重鎮にして、ムーンシャイナー誌の編集長、BOMサービスの……取締役……だったのかな? とにかく、人生のほとんどをブルーグラスに捧げたような方だった。

Sabsan

 ジューンアップル誌の記事などで、お名前は以前から存知あげていたけれど、実際にお話をさせていただくようになったのは、わりと最近になってからだ。何かのイベントのおりにご紹介をいただく機会があった。意外なことにサブさんは私のことを御存知で、しかも拙著をやけにほめてくださった。ヨイショされるなんてめったにないことなので、よく覚えている^^;

 それからしばらく経ってから、別のイベントの際に呼び止められ、「ムーンシャイナーになんか書かへんか?」とありがたいお言葉をいただいた。「なんか」と言われてほいほいネタが出てくるほどの才能はないので、なかなか実現はしなかったけれど、それでも何度か書かせていただくことができた。辛抱強く「こういうのはどうや?」とアイデアを出してくださったサブさんのおかげである。とにかく、明るくポジティブで、人懐っこく、そしてやさしい人だった。

 そのやさしさに甘えて、こちらからも何度かお願いをした。中でもスチュアート・ダンカンさんが来日したときにインタビューのコーディネートをしていただいたのは、ありがたかった。

 正直、まだ実感がわかないけれど、これから寂しくなるんだろうな。ともあれずいぶんとお世話になりました。やすらかにお休みください。

Bluegrass45

 ブルーグラス45の一員として、アメリカのレベル・レコードから2枚のアルバムをリリースし、アメリカ・ツアーもこなすなど、サブさんは70年代初頭からすでにメジャーな存在だった。

2019年10月24日 (木)

金魚めいわく

 巣鴨の地蔵通りの縁日は、毎月4日、14日、24日の3回、いわゆる「4のつく日」に開かれる。お好み焼きや、たこ焼き、ソース焼きそば、あんず飴、おもちゃや骨とう品など、たくさんの屋台が並ぶのが楽しい。小さい頃はよく父親に連れて行ってもらったものだ。

 夏になるとやってくる金魚すくいの店で、父さんはよく金魚を買った。十匹単位くらいでまとめて買っては、庭の池に放していた。我が家はもともと料亭だったものを買い取ったとかで、こじんまりとした庭があり、灯篭やつくばい、藤棚に竹林、石の橋や岩風呂まであったのだが、その名残りの池をさらに広げて、そこで金魚を飼おうとしたわけだ。

 ところが買ってきた金魚は何日も経たないうちにみんな死んでしまう。そこで、父さんはまた金魚すくいで金魚を買う。そんなことを何度も繰り返したのを覚えている。あの頃は、金魚は家ではなかなか育たないものと思いこんでいたのだが、大きくなってから、金魚すくいの金魚は紙を張ったすくい網(ポイ)で身体を傷つけられ、逃げ回ることで体力も消耗し、ほとんどのものは長く生きられないのだということを知った。

 そういえば、金魚すくいじゃない普通の店舗の金魚屋も家の近くにはあったのに。もっと早くに知っていれば、そっちで買おうと意見できたかもしれない。金魚すくいは見ている分には楽しいけれど(私はどんくさかったので自分ではほとんどやらなかった)、金魚にとってはめいわくな遊びだったのだろう。

2019年7月 9日 (火)

天使の竪琴

 リラ、ライアー、竪琴など、さまざまな呼び名があるが、小型のハープの一種と捉えていいだろう。古代ギリシャの頃からある古い弦楽器のようだ。

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 池袋のピアノ教室前に置かれていた、竪琴を弾く天使の像。街角で見かけるこの手の像の多くは、本体で力尽きてしまって楽器にまで力が回っていないものが多いようだが、この天使も例外ではない。

2019年6月30日 (日)

中学の工事は最終局面へ

 6月には完了という話だった隣の中学の工事は7月にずれ込むようだ。とはいえ、そろそろ最終的な姿が見えてきた。

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 肝心の校舎は、すでに内装工事を残すのみ。

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 校庭にもレンガ道が敷かれ、新た運び込まれた樹木や多数の花の苗が植えられて、だいぶにぎやかになってきた。

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 レンガ道の脇には、このあとクリスマスローズなどの苗がたくさん植えられた。

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 校門を入ったスペースはコンクリートで固められ、ここにも桜の木などが植えられた。今日はコンクリートの上にタイルを貼る作業が行なわれたようだ。

2019年6月16日 (日)

父親の辞書

 古い国語辞書がある。『和英對照 明解新辞典 最新版』(愛之事業社)。父親が常に文机の上に置いて、愛用していた品だ。奥付には「昭和十一年四月一日 八版」とある。

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 私の父は蔵書を持たず、レコードや書画骨董のたぐいにも興味のない、ほとんど着の身着のままの人だったので、形見と言えるのはこの辞書と、いつも座っていた籐椅子くらいしかない。

 辞書は、小中学生の頃から父親黙認でときどき使わせてもらっていた。高校生の頃には、もう譲り受けていたかな? やけに古めかしい語釈が面白くて、いろいろな言葉を引いて遊んだ。そういうときには、たいていろくでもない単語を探すもので、たとえば「痴漢」のところに「たはけもの、ばかもの、しれもの」と書いてあるのを見てゲラゲラ笑った。いま振り返るとアホである^^;

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 全体に説明文はそっけなくて、やや物足りない。その一方で「和英對照」というだけあって、英単語も添えられて和英辞典としても使えるようになっている。「痴漢」のところには、「idiot イディオット fool フール」。う~む……。戦前の日本では、「痴漢」という言葉は文字どおりこういう使われ方をしていたのかね? 何か根本的なところが間違っているような気もするのだが……。

 そんなわけで、いまとなってはまったく実用的ではないシロモノなのだが、父親の思い出がぎっしり詰まっているような気がして、なかなか手放す気にはなれない。なにはともあれ、今日は父の日。

2019年6月10日 (月)

花の浮き彫り

  駒込で見かけた花文様のレリーフ。家の壁に埋め込まれているのだが、この部分だけ時代が古いようにも見える。別の建造物から移したものかもしれない。

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 伝統的なデザインなのだろうか? あいにく美術史の素養がないため、様式などの特定はできず。そもそも何の花かもわからない……。

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