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2020年1月

2020年1月31日 (金)

デビッド・グリスマンと私^^;

 デビッド・グリスマンとは不思議と縁がある。76年の最初の日本ツアーは見に行かず……というよりも、ツアーが終わったあとで来ていたことを知り、「え? 麻田浩さんが呼び屋を始めたの?」「ドーグってなんじゃらほい?」と驚くような情けない状況だったのだが(情弱なのはいまでもあまり変わってないかも^^;)、その後カリフォルニアのブルーグラス・フェスでステージを初体験し、83年のツアーのときには東京公演の裏方をやらされ、99年のツアーではマンドリン・ワークショップにも参加し……と、そこそこやりとりする機会もあった。先日開催したマンドリンのトーク&ライブの当日にも、「ラジオでグリスマン特集をやりたい」というメールが届いていて、あらためて奇妙なめぐりあわせに驚かされたのだった。

 カリフォルニアのストロベリー・フェスに行ったのは、80年代の初め頃だったはずだ。このときは佐々木仁さん、西海孝さん、ダディ前田さんたちといっしょだった。サンフランシスコのホテルでは西海さんと同室。仁さんはグリスマン邸のバーベキュー・パーティに招かれて出かけて行った(私たちはお留守番)。ベースのロブ・ワッサーマンの作るバーベキュー・ソースが絶品だったという。部屋にマリファナの煙が充満していたのはお約束である^^;

 83年の日本ツアーは仁さんの主催で、直接仁さんから「東京公演を手伝ってほしい」という電話が来た。すでにチケットを買っていたもので、1日だけで勘弁してもらったのだけれど。担当したのは楽器類の運搬と物販。竹橋の科学技術館で開催された楽器フェアでもDGQがデモ演奏をするというので、そちらも手伝った記憶がある。

Dgqticket

 終演後は楽屋に入れてもらって、持参したLPにサインをしてもらった(当時はまだミーハーだったんだよな)。グリスマンと話をしたのは、このときが初めてだ。正直、ずいぶん不愛想な人だなという印象だった。まあ、誰だかわからない若造に愛想よくする義理もないのだろうけれどね……。そういえば、ズラリと並んだ楽器ケースの前で本間正敏さんが、「いちばん気に入っているのはどれ?」とたずねたのに対し、あっさり「この中にはない」と返していたのも印象的だった。いっさい忖度などせずに、ストレートな物言いをする人なんだなと(当時のグリスマンはモンテレオーネ作のマンドリンを使い、ケンタッキー・ブランドの宣伝もしていた時期だった)。

Dawggrass

 ちなみに、ほかの3人のメンバーは、フツーにフレンドリーだった。いちばん陽気な印象だったのがマイク・マーシャルさん。ダロル・アンガーさんはシャイな感じだったけれど、いい人感がにじみ出ていた。ロブ・ワッサーマンさんはわざわざ私の名前のつづりを聞いて、為書きまで添えてくれた。

DuoWasserman

 99年のツアーのときは、たしか楽器屋さんを通じて「ワークショップがあるよ」という情報をもらい、かなり迷った末に参加することにした。だって、たいして弾けないのに、ワークショップに行くなんておこがましいような気がしたもので……。

 ワークショップの参加者は、10人くらいいたろうか? 最初に全員の楽器のセッティングをチェックしてもらった。ブリッジの位置を動かされた人もいたっけ。私の楽器(なんとなくギブソンを持って行くのが恥ずかしくて、ケンタッキーのKM-1500を選んだ)に関しては、「もうちょっとブリッジを高めの設定にしてもいいかもね」というご託宣だった。

 そのあとは、一人一人がソロで曲を弾かされるという展開に。これじゃワークショップというよりオーディションみたいだな~。私は何を弾いていいかわからなくなり、自作のインスト曲を聴いてもらった。グリスマン先生はきょとんとした顔をしていたな^^; とりあえずいろいろアドバイスはもらった。そういえば、「モチーフをどのように発展させて曲に仕上げるか?」みたいな質問もしてしまったんだよな。そこから作曲談議になって、「私は技術的にすぐれたマンドリン・プレイヤーではなかったから、自分が弾きやすいような形で曲を書いたんだ」みたいな話まで。え! 謙遜するような人には見えなかったのに。この発言には心底驚いた。

 最後に参加者全員に、愛用のF-5ロイド・ロアー(おそらく本間さんが知りたかった「いちばん気に入っている楽器」)を弾かせてくれるという大サービス。私はギルクリスト作のマンドラもさわらせてもらった。

 あと、これはもう時効かな? 実はワークショップが一段落したときに「今日のコンサートで演奏する曲のリクエストはあるかい?」と聴かれたのだった。とっさのことでみな答に躊躇している中、そんなこともあろうかと考えていた私は「Opus 38」と図々しくも答えてしまった。「私はマンドラやマンドセロも弾くんですよ」なんてひとこと添えて。そしてコンサートの本番、ステージが佳境にさしかかったところで、「みんなリクエストあるかい?」というMCが。会場内から挙がるさまざまな曲のタイトル。すると「私が思うにOpus 38の声がいちばん多かったみたいだね」と、この曲の演奏が始まった。え? え? え? あのやりとりのことなんて、すっかり忘れていたのに。実際には「Opus 38」のリクエストなんか全然なかったよね。こんな形で約束を果たしてくれるとは……。なぜか喜びよりもうしろめたい気分のほうが勝ってしまった。でも、グリスマンさんにはやっぱりお礼を言わないといけないんだろうな。

 今日までずうっと黙ってきたけれど、実はこんな話があったのです。希望の曲を演奏してもらえなかったみなさん、ごめんなさい。

 そんなこんなで、昨日は麻布十番のスタジオでFMラジオのデビッド・グリスマン特集の収録をすませてきた。残念ながら長い曲はかけられないのだけれど、そこそこ面白い選曲になったのではないかと思う。放送は2月6日(木)午後8時からの予定です。よろしくどうぞ。 

2020年1月30日 (木)

遅ればせながら11月のバーズ特集

  雨が続いて溜まっていた洗濯物も、昨日、今日の晴天ですっかり片付いて、いい気分。

 今日は夕方からFMラジオの収録の予定が入っているけれど、この陽気なら楽勝だろう。少なくとも行き帰りの道中は。でも、その前に前回の放送分の話を片付けておかないと。

 もう去年のことになってしまうけれど、11月28日(木)にバーズの特集があった。まずは番組のサイトに上げられていた、オンエアリストから。

  20:02 I’ll Feel A Whole Lot Better / The Byrds
  20:07 Hickory Wind / The Byrds
  20:10 Bugler / The Byrds
  20:16 So You Want To Be A Rock’n’Roll Star / The Byrds
  20:18 Old Blue / The Byrds
  20:22 Goin’ Back / The Byrds
  20:27 Pretty Boy Floyd / The Byrds
  20:30 Green Apple Quick Step / The Byrds
  20:34 Mr. Tambourine Man / The Byrds
  20:36 Ballad Of Easy Rider / The Byrds
  20:38 Eight Miles High / The Byrds
  20:46 Chestnut Mare / The Byrds 

 ご覧のとおり、デビュー・アルバムの『MR. TAMBOURINE MAN』から事実上のラスト・アルバム『FARTHER ALONG』までまんべんなく選んだ。メンバー個々の活躍まで追いかけていくとたいへんなことになるので、今回は省略。バーズはメンバーの入れ替わりが激しくて、最初と最後ではまったく違うバンドと言っていいのだけれど、そのぶんバラエティはつけやすいので選曲はラクだった。

 時間の都合で選曲リストから漏れた曲は、「John Riley」「Tribal Gathering」「Bad Night At The Whiskey」「Lover of the Bayou」「I See You」……けっこうあるなぁ。デビッド・クロスビー主導の曲は全部落ちたね^^;

 放送分に関しては、補足はとくになし。あ、「Eight Miles High」は、『UNTITLED』のライブ音源を使った。
 

2020年1月26日 (日)

マンドリン狂詩曲

 1月25日(土)午後3時半から武蔵小山LiveCafeAgainで、トーク&ライブ『楽器は語る Talk About Roots Music』Vol.5マンドリン編。

 午前9時頃、ギターやCD、発表資料などの荷造りをしているところに電話あり。朝早くからセールスか? 身構えて電話を取ると、京都のマンドリニスト、ヒデマンさんからだった。いつもの調子で「やっぱり見に行きますわ」とおっしゃる。 え? いまから電車で東京に?  イベントを見るだけのために? もちろん歓迎ではあるけれど、そこまでしてもらっては、なんだか申し訳ないような……。「楽器は持ってきますよね?」「持っていってもええけど」「じゃあ、飛び入りでセッションに参加しませんか?」というようなやりとりがあって、急遽セッションの話がまとまった。

 ほっと一息ついたところでPCをチェックすると、FMラジオ「A・O・R」のスタッフから「デビッド・グリスマンの特集をやりたい」というメールが来ている。マンドリンつながりで、どんどん話が広がるな。偶然にしてはできすぎな気がするけれど、事実なんだからしょうがない。

 午後1時に会場入り。武蔵小山の駅を降りたところで、ヒデマンさんとばったり出くわす。そのままお店に入ると、主役の竹内信次さんがもういらしていた。そのままサウンド・チェック&リハーサル。事前の竹内さんとの打ち合わせでは、「Cedar Hill」と「E.M.D.」を合わせることになっていたのだが、ヒデマンさんから「Golden Slippersがいい」とのリクエストあり。え~、オレその曲伴奏したことないよ。コード進行も知らないし。……とは言いつつも流れに逆らえず、そのままリハに突入^^; まあ3コードの曲ではあるし、現場施工でなんとか乗り切れるだろう……たぶん。

 そんなこんなで、あっという間に開場時間に。心配していた雨も降らず、お客さんもほぼ満席の状態だ。ほっ。

 ステージの前半は、実演をまじえてのマンドリン談義。マンドリンはあまりソロ向きの楽器ではないのだけれど、ブルーグラス、ブルース、クラシックなど、こちらのムチャぶりに応えて、竹内さんはさまざまなスタイルのマンドリンを弾いてくださった。やはりいちばんのハイライトは、ビバルディのマンドリン協奏曲だったろう。こんな曲まで弾かれるとは知らなかった。

 そのあとはいよいよセッション・タイム。竹内さんのマンドリン、ヒデマンさんのロングネック・マンドリン、私のギターという、おそらく最初で最後の組み合わせである。最初に竹内さんとヒデマンさんのデュオで「Daybreak In Dixie」。それから3人で「Golden Slippers 」と「「E.M.D」を演奏した。

 後半はマンドリンのアメリカでの発展史を追いかけるDJタイム。デイブ・アポロンの「2nd Hungarian Rhapsody」から初めて、ジャズ、ラグタイム、ホーカム、ブルース、ブルーグラス、ニューグラス、ドーグ、クレズマー、ロック……など、駆け足で紹介した。デイブ・アポロンは、フィリピノ・ボーイズをバックにした映像も見てもらう。

 私の操作の不手際もあって、30分ほど時間が延長してしまったけれど、なんとか怒られることもなく終演を迎えることができたのはなにより。それから会場近くの立ち飲み屋で打ち上げをした。ヒデマンさんは無事、最終1つ前の新幹線で帰宅できたそうな。お疲れ様! 次回は、フィドルか4弦バンジョー編をやりたいな……ということでまだまだ続けるつもりでおります。よろしゅーに。

2020年1月22日 (水)

マンドリン・オーケストラの時代

 25日(土)の「楽器は語る Talk About Roots Music Vol.5 マンドリン編」のテーマにからめてもう少し。 

 アメリカ合衆国の歴史上、マンドリンが最もポピュラーな楽器だった時期は、おそらく20世紀初頭だろう。

 マンドリンは19世紀末にはイタリア以外の西欧にも広まっていたようで、このヨーロッパの流行がアメリカにも伝わったと言える。1899年にフィラデルフィアで「The Banjo, Mandolin and Guitar Music Festival」が開催され、ここに43人のマンドリン奏者を含むオーケストラが参加したという記録が残っているものの、マンドリン・オーケストラというスタイルが確立するのは20世紀に入ってからのようだ。

 マンドリン・オーケストラは、それ以前のクラシック・バンジョーのブームに取って代わるような形で広まっていったと思われる。全盛期と言えるのは、1900年代~1910年代。その後のジャズ・エイジに入ると、音量の点で勝る4弦バンジョーに主役の座を奪われた観がある。5弦と4弦では楽器の性格が異なるものの、この一連の動きをバンジョーの逆襲と捉えると、ちょっと面白い。

 マンドリン・オーケストラは、マンドリン、マンドラ、マンドセロ、マンドベースを中心に構成された、おおむね撥弦楽器の楽団である。ギター、ハープ・ギター、ウッド・ベース(コントラバス)などが加わることも多い。場合によっては管楽器や打楽器も。大編成の楽団ばかりではなく、弦楽四重奏のような小編成のグループも少なくなかった。

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 写真は、1921年に発行されたギブソンの製品カタログ(カタログM)より、シカゴ・シンフォニー・マンドリン・オーケストラ。指揮者のクロード・ローデンは、ギブソンに宛てた手紙に「すべてのマンドリン・オーケストラにマンドベースを加えるように勧めたい」と書いて、ギブソンのマンドベースを絶賛している。

 実際のところ、ギブソンのマンドベース、スタイルJは、初めてカタログに登場したのが1912年と、他のマンドリン属の楽器よりもかなり遅めのデビューだった。「コントラバスではなくてマンドリン・オーケストラ専用のベースを」という機運が高まったのが、実はこの頃だったのかもしれない。

 マンドリン・オーケストラはほとんどがアマチュアの楽団だったが、ほぼ同時期にボードビルの劇場では、マンドリンやマンドラを手にした芸人たちが活躍を始めていた。マンドリン・オーケストラの人気が衰えた30年代にも、新たなスターがボードビルや映画界を席巻して、マンドリンを新たな高みへと導くことになる。そのスーパースターとは、革命の混乱から逃れてロシアからニューヨークへと渡ってきたデイブ・アポロン(ロシア名:デニス・アポロノフ)である。

 ……というところで、この続きは25日(土)の武蔵小山Againにて^^; 

2020年1月20日 (月)

なぜマンドリンは平べったくなったのか?

 25日(土)のトーク&ライブ『楽器は語る Talk About Roots Music』 Vol.5 マンドリン編まで、あと5日。何を隠そう、今回もギターをちょこっと弾かせてもらうつもりでいて、その練習を始めているのだが、これがなかなか難しい。いつもはマンドリンで弾いている曲で、ギターで弾くのはこれが初めてだもんな……と言い訳^^; はたして本番までに間に合うだろうか?

Flyer

 それはさておき、イベントの宣伝のために、この日記でトークのネタを小出しに紹介していくことにする。

 まず最初の重要なテーマは、なぜマンドリンはアメリカに渡ってボディが平べったい姿に変わったか?ということだ。

 拙著『アメリカン・ルーツ・ミュージック 楽器と音楽の旅』(音楽之友社)では、オービル・ギブソンが取得した特許(USパテント・ナンバー598245)の資料から、オービルの意図を推察した。「熱処理して成型した薄い板(リブ)を何十枚も組み合わせて作ったボウルバック・マンドリンでは、充分なレスポンスや、音量、音質を得られない」というのが、オービルの結論だったようだ。熱成型をせずに、厚い板を削り出してトップとバックにする(それどころかサイドの板まで!)。こうしてバイオリン属の楽器とほぼ同等の手法が採用されることになった。

 とはいえ、このような技術的な視点とは別に、イタリア以外の移民の文化がもたらした影響についても考えてみる必要がありそうだ。今回はそのあたりの事情について、もう少しつっこんでみたいと思っている。

2020年1月 9日 (木)

ミュージック・マガジンからカントリー・ミュージック

 宇田和弘さんの監修によるレコード・コレクターズ増刊『カントリー・ミュージック』(ミュージック・マガジン)。なにより、あのミュージック・マガジンからカントリーの本が出たという事実がすごい。

Country

 オーソドックスなディスク・ガイド本で、コンパクトな判型ながら、全ページ4色カラー(念のために書き添えておくと、フルカラーということ)。執筆陣がまた豪華で、宇田さんはもちろんのこと、赤尾美香、五十嵐正、大江田信、岡村詩野、小川真一、北中正和、白井英一郎、能地佑子、萩原健太……etc.という、ものごっついみなさんばかりなのだった。そんな大御所の方々に混じって、私もちょこっとだけ書かせていただきました^^;

 

2020年1月 6日 (月)

恋多き女について語る?

 2020年1月5日(日)の真昼間。「晴れたら空へ豆まいて」で、麻田浩さんとサエキけんぞうさんのトーク・イベント『新年初笑い!麻田浩 × サエキけんぞう 聴かずに死ねるか裏話』。そんなわけで、久しぶりに代官山まで出かけた。それにしても乗り換えの渋谷駅は、いくたびにダンジョン化が進んでいるような気がするな。

 年が明けても続く『聴かずに死ねるか!』(リットーミュージック)の出版記念イベント。まだネタがあるのかと心配していたら、新たに65年の初渡米時の写真が見つかったとかで、その貴重な写真を一挙公開。これがなかなかに楽しかった。

Asada11

 トークに加えて、麻田さんのギター弾き語りも2曲。ジャクソン・ブラウンと初めて会ったときに披露したという「The Ballad of Ira Hayes」と、自作曲の「ガード下の飲み屋」。「Ira Hayes」のほうは、去年の暮れに同じステージに上がらせてもらったときにも聴く機会があったのだけれど、あらためてじっくり歌詞をかみしめながら聴けて、麻田さんのハスキーなボーカルがじわっと沁みてきた。自作曲もすごくよかったし、いつものステージでもご自分の歌をもっと歌えばいいのに、なんてことを思ったり。

Saeki11

 肝心のトークでは、ジャクソン・ブラウンの車にジョニ・ミッチェルと同乗してギターを買いに行ったくだりが初耳だった。そのときにジョニさんは小さめのマーティンを買ったとか。いつものことではあるけれど、麻田さんはさらっとすごいことしゃべるよな~。もっと前に聞いていれば、本にも書けた……というか、入れられたのに……。

 このエピソードに食いついて、ジョニさんの男性遍歴を探りだすサエキさん。そのあたりの話は中川五郎さんが詳しいはずでは?なんて思いながら拝聴していたのだが、家に帰って調べてみたら、あっさり見つかった! 『ヤング・ギター』(新興楽譜出版社=のちのシンコーミュージック)1973年3月号。中川五郎さんが書いた「ジョニ・ミッチェルの色香に噎ぶわたし」という記事が載っている。すごいタイトルだね、しかし。私としては、朝までむせんでいてくださっていっこうにかまわないのだけれど、記事の中身自体はとてもしっかりしていて、ジョニさんの経歴や作品の変遷などがよくわかるすばらしい内容であるということだけは、申し添えておきたい。

 で、その記事の最後に、こんな図が添えられていたのだ。あえてコメントはなしで、そのまま貼り付けておく。悪しからず^^;

Jonimitchell

2020年1月 2日 (木)

初夢選び

 2日の朝に見た夢たち。

 ステゴザウルスの1/200スケールのプラモデルを作っている。縮小サイズでも自分の背丈ほどの高さだ。場面変わっていきなりの面接。「既往症はあるか?」と聴かれたので、「トリケラトプス」と答えたら妙にウケた。

     ※     ※     ※     ※

 年配の男女のグループに説教されている。恐そうな顔をした眼鏡のおばさんに大きな平たい箱を渡される。「これをちゃんと保管しておいて」。さて、どこに置いたらいいだろう? 適当なスペースがなかなか見当たらない。奥のほうにあった本棚の上に載せると、箱の重みで本の山がゆっくりと崩れだした。しかもドミノ倒しのように次の山、次の山と順々に崩れていく。こりゃたいへんだ! 「だから整理整頓しておけと言っただろ」また先輩に怒られる。「なんで書庫を整理できないんだ?」と問い詰められ、「それは……上から重力がかかるし、左右からもプレッシャーがいろいろかかるから……」と答える。「そんなことじゃ誰も手伝ってくれないぞ」先輩はあきれ顔になった。「誰か手伝ってもいいというヤツはいるか?」。みんなかぶりをふっている。でも、ただ一人だけことわらなかった人が。1つ年上のおねーさんだ。そのままゆっくりと顔を近づけてくる。年上とはいえ、かわいらしくて好みのタイプ。この人と2人で片づけるのなら悪くないかも……。

     ※     ※     ※     ※ 

 新製品の審査を受けに検査機関にきている。同僚たちといっしょに窓口に並んでいると、「手荷物がないなら、目印にこれを持っていてください」とメカニカルな構造の筆記具のようなものを渡される。これを手にして先へ進むと、大きな靴箱のようなものが置いてあった。どんなサイズの靴もすっぽり収められる斬新なデザインである。感心しながらいろいろ足をつっこんで試してみる。

      ※     ※     ※     ※

 街角に立って誰かが写真を撮ってくれるのを待っている。通りかかる人にポーズをとって見せると撮影してくれる。私は赤いサンタの服を着て、手にはフィドルを持っている。そこにプロのカメラマンがやってきた。ここは張り切らなければ。うしろにのけぞってUの字のようになってフィドルを弾くが、「そんなひょうきんなポーズはいらない」と怒られる。それでは素の表情で。「もっと笑って」。にっこり笑うと「もっと自然な笑顔で」。いろいろ言われてこわばった表情になってしまったが、カメラマンは「それいいね!」と写真を撮りまくった。撮影が終わって、でき上がったビデオを見せてもらう。途中から見覚えのある古い映像に変わった。あれ? 昔のビデオテープの上に重ね撮りしちゃったのかな? その映像で私は雑貨を並べた店にいて、中に入ろうとしたお客の前にいきなり現われてフィドルを弾いている。驚いてひっくり返るお客さん。おもしろがって繰り返していたら、怒ったお店の人に物を投げつけられて追い出された。

      ※     ※     ※     ※

 目が覚めて、ここまでの夢を反芻したあと二度寝。それからまたまた夢を見た。

 音楽のトークイベントを聴きに来ている。講師の北中正和さんの発表資料があったので、事前に読ませてもらうことに。トーク用の原稿には、「とても有名なロック・バンドのある曲を紹介しようと思って音源を探したのだが、入っているアルバムが見当たらない」……というような苦労話が書いてある。ずらーっと並ぶチェックしたアルバムのリスト。さらにページをめくると、世界地図になっていて、矢印でどのような経緯をたどってその曲を探したかが示されている。わ~、トークの準備あるあるだな~。私も似たようなことをよくやっている。もっとも私の場合は、整理が悪くて目当てのCDそのものが見つからないんだけど……。

 読んでいるうちに資料の順番がぐじょぐじょになってきたので、苦労して元のとおりに並べなおす。それを見ていた北中さんが、「トークの資料を整理しているの? たいへんだね」と声をかけてきた。……ということは、私も出演することになっているんだな。「いえ、これ北中さんの資料ですよ」と答えると、北中さんとスタッフの女の人が爆笑した。

      ※     ※     ※     ※

 一度にずいぶんいろいろな夢を見ちゃったな。文章にまとめてみて思ったけれど、今朝の夢の裏テーマは整理整頓かもしれない。今年は資料類がすぐ取り出せるようにデータベース管理でもしようかな。それと、特別出演していただいた北中さんには、ここでお礼--というかお詫びを申し上げます。お名前は伏字にしようかとも思ったのですが、どなたかはっきりしたほうが話がわかりやすいかと考え直しました。なぜ北中さんの夢を見たのかは、自分でもよくわかりません……。

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