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2019年12月19日 (木)

仁さんのこと

 「家が近いのが気に入った」
 まったりとした雰囲気の面談の末にこう言われて、私はジューンアップルで働くことになった。とくに経歴や能力を評価されたわけではなかったようだ。ともあれ、これが佐々木仁さんとの出会いになる。1981年の夏のことだ。

 そのころ私はコンピューターのプログラムを書いて暮らしていた。ほんとうは出版社かレコード会社に入りたかったけれどうまくいかず、ソフトハウスに就職したもののいまいちなじめず、もやもやした気分でいた。そんなときに目にしたのが、愛読していたブルーグラス・リバイバル誌に載っていた「スタッフ募集」の告知だった。

 意を決して電話をかけ、面接の約束を取り付ける。駒込にあった編集部を訪ねると、出迎えてくれたのが仁さんだった。それまで面識はなかったけれど、顔はよく知っていた。雑誌の記事やコンサートの司会などで、何度もお見かけしていたからだ。だから「本物の仁さん」に対面したときはちょっと興奮した。

 型どおりの質問はほとんどされなかったような記憶がある。なぜスタッフが必要かという編集部の事情の説明がほとんどだったかもしれない。家が近い以外に決め手があったのかどうかわからないけれど、とにかくその場であっさり採用が決まった。

 こうしてなんとか編集者になったのはいいけれど、理学部卒でプログラマーくずれの私には、右も左もわからない。レイアウトの指定、写真のトリミング、校正の赤字の入れ方、原稿の書き方など、すべて一から教わった。そうした技能はいまでも役に立っている。

 仁さんは思っていたとおりの人だった。フランクで裏表がない。気さくで誰とでもすぐ仲良くなる。ちょっと喧嘩っ早いところもあったようなのだが、私は一度も怒られたことはなかった。

 仁さんと共にすごした日々のことは、いろいろありすぎてうまくまとめられそうにない。あらためてふり返ってみると、私がリバイバル誌の編集部にいたのはたった1年足らずの期間にすぎないのだけれど、とてもそうとは思えないくらい、ずいぶんと濃密な時間だった。

 リバイバル誌がなくなってからも何度もお会いして、何かにつけてお世話になった。自宅に呼んでもらったり、いっしょにアメリカのブルーグラス・フェスにも行ったり。私のイベントにも何度も足を運んでもらった。

 最後に仁さんに会ったのは、つい1ヵ月ちょっと前だ。板橋で開かれた麻田浩さんのトーク&ライブのイベントに、私がゲストで呼ばれていたのを見に来てくれた。麻田さんとの旧交を温めるのが主な目的だったのかもしれないけれど、私のことも気にかけて来てくださったのだと思いたい。

 そのときはずいぶんお元気になられたように見えた。「年が明けたらイベントをやるから、お前も来てまたしゃべってくれないか」と、ありがたい言葉もちょうだいした。ほんとに実現すればよかったのにね。

 最後までお世話になりっぱなしで、結局恩返しはできなかったのが残念だ。ともあれ、ありがとうございました。ごゆっくりお休みください。

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コメント

1981年ですか、知りませんでした。小生は数年働いて1979年にJune Appleを去りました。入れ違いみたいになりましたね。

>菅沼利夫さん

はい。私が関わったのは、ブルーグラス・リバイバルになってからです。
当時、菅沼さんは『楽器商報』の編集をされていませんでしたか?
そのころ何度かお会いして、アドアイスを頂戴したこともあったのですが、もう覚えていらっしゃらないかも。
ともあれ、引き続きよろしくお願いします。

楽器商報の海外向け英語版の担当でした。昔すぎて記憶が飛んでいます。申し訳ございません。宜しくお願いします。

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