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2019年2月

2019年2月19日 (火)

制作ノート番外編(麻田浩は伝説になったか?)

 『聴かずに死ねるか!』(リットーミュージック)の発刊から1ヵ月。これまで一部の方にしか知られていなかった麻田浩さんのすごさが、少しずつではあるけれど一般の音楽ファンにも認知されつつあるような手ごたえを感じている。

 制作に関わった一人として、とてもうれしく感じているのはもちろんだけれど、その一方でちょっとだけ気がかりなこともある。麻田さんの功績をたたえるネットの文章などに、「伝説のプロモーター」という枕詞のようなものがくっついている例を散見するようになったのだ。

 なんか違うんだよな、「伝説」っていうのはさ。妙に大げさな感じだし、それに麻田さんを伝説のカテゴリーに押し込めるのは、まだ早すぎるような気がする。いったい誰がこんなこと言い出したんだよ?

 ……なんて書くのもしらじらしくて、原因はたぶんアレだ。本の帯にも付いている宣伝文句「トム・ウェイツを招聘した伝説のプロモーターが明かす栄光と挫折の舞台裏!」。つまるところ、自分がすべての元凶だったってことだ^^;

 言い訳に聞こえるかもしれないけれど、私自身はこのキャッチ・コピーは書いていない。自分は関わらずにいちゃもんだけつけるのは、考えた方に申し訳ないとは思うのだが、それでも座り心地が悪いというか、おしりがこそばゆい気持ちはいかんともしがたい。

 「伝説」以上に気になるのが、「栄光と苦悩の舞台裏!」のくだりだ。「栄光」も「苦悩」も麻田さんのキャラクターにはそぐわない印象なのだよね。そりゃ人間だから、喜怒哀楽いろいろな感情が生まれるのは当然なのだろうけれど、傍目に見た麻田さんは、どんなときでも飄々としているようなイメージだから。まあ、面と向かって「苦悩したことないでしょ?」なんて言ったりしたら、さすがにムッとされるだろうとは思うけれど。

 「トム・ウェイツを招聘した」も、ビミョーと言えばビミョーなのだけれど、ここまで突っ込むとほとんど元の文章が残らなくなってしまうので、まあいいとして。

 ……なんてネチネチ書いているうちに、正直言って誰得?という気分になってきた。だって「伝説のプロモーター」と呼ばれても、きっと麻田さんは全然気にしないだろうから^^;(そういう細かいことにこだわらない人らしいというのは前にも書いた)。間接的ではあるにせよ、自分が原因でビミョーな言説が広まるのは阻止したいと気張ってみたものの、私以外のほとんどの方は、こんな些末な話、いちいち気にかけないわな~。

2019年2月15日 (金)

マグロの修理

 真夜中に見た夢。

 知り合いが訪れたことのある遠い田舎の町に、自分も行ってみることにする。電車とバスを乗り継いでの長い旅だ。バスを降りると車が故障している。パーツがあれば自力で直せるそうだ。男が手にしているのは30cmくらいの細長いパーツだった。

 夕ご飯は家に帰ってから食べようかと思っていたのだが、カミさんに「ここで食べいこう」と言われて従うことに。ご飯を食べながら修理の様子をながめる。ガレージで修理しているのは巨大なマグロだった。これは珍しい。写真に撮っておかなければ。ご飯を食べてから撮影しようと思っていると、日が暮れだした。急いで食べなくては間に合わない!

 皿の上にはご飯と焼きそばが乗っていて、上にカレーのようなどろっとした茶色いソースがかかっている。アフリカの伝統料理だろうか? カウンターの向こうには2人の黒人の男がいて、香辛料をかけて食べるように勧めてくる。「すごく辛いよ」と言われて、少しだけおそるおそるかけてみたが、食べてみると思ったほど辛くない。私が平気な顔をしているのを見て、2人はがっかりしたような表情を浮かべた。

 そのとき駅員の声がした。「いま出る列車が最終だよ」。あせって食べ終えようとするが、食器にご飯がこびりついていて、なかなか取れない。香辛料の脇にこよりのようにねじれた細いソーセージのようなものがあるのを見つけて口に入れてみるとものすごく辛い。そうか、辛いのはこっちのほうだったんだ!

2019年2月12日 (火)

制作ノート番外編(ラ・カーニャの夜)

 すべてはラ・カーニャから始まったのかもしれない。いまを去ること10年前の2009年8月28日。下北沢のライブハウス、ラ・カーニャで、「麻田浩トムスキャビンを語る」というイベントが催された。企画したのは音楽ライターの川村恭子さん。トムスの最初の招聘アーティストとなったデビッド・グリスマン・クインテットの来日にまつわる話を、麻田さんの口から直接うかがおうという会で、私もたまたまその場に居合わせていた。

 

 このイベントはその後も何回か続いて、最終的には本にまとめられれば……というような話もあったかと記憶している。結局、書籍化の話は実現せず、その後10年を経て『聴かずに死ねるか!』が日の目を見たわけだ。あの頃は自分が関わることになろうとは、夢にも思っていなかった。運命っていうのは不思議だな。できれば近いうちにまた川村さんと飲みたいな……。

 

 さて、そんな因縁浅からぬラ・カーニャで、昨夜は『聴かずに死ねるか!』の出版を記念した「麻田浩トーク&サイン会」が開催された。前2回とは趣を変え、麻田さん以外にもトムス・キャビンの元スタッフのみなさんが集合して、当時の思い出を振り返るという。これは面白くなりそうだと思っていたら、案の定、これまで明らかにされていなかった暴露話が次々と飛び出してきて、会場は大盛り上がり。

 

 それにつけても、悲惨なはずの思い出を嬉々として語るみなさんの姿が印象的だった。例のアシュラさんのページも、ほんとはこういう感じにしたかったんだよな。ラ・カーニャのステージで話すくらいだったら、あの原稿だって削らなくてよかったんじゃないの……?

 

 アシュラさん自らがステージで公開した以上、もう隠す必要もないだろうから、そんなエピソードを1つ、ここに載せてしまおう。アシュラさんがツアー・マネージャーを任されて、地方に出発しようという日の朝のことだ。ツアーの費用を求めるアシュラさんに麻田さんはこう答えたという。「あ、ごめん。ねえんだよ。アシュラ払っといて」

 

 アルバイトの女子大生だった深瀬さんの「事務所の電話がしょっちゅう停まるのに驚いた。電話ってお金を払わないとほんとに停まるんだ」という証言も、インパクトがあった。とにかく、ほんとにお金のない会社だったようである。そんな悲惨な労働環境だったにもかかわらず、いまだに麻田さんの呼びかけに応じて馳せ参じるスタッフのみなさんは、すごいと思う。麻田さんの人間的な魅力もちろんだけれど、トムス・キャビンという組織そのものに抗しがたいパワーのようなものがあるのではなかろうか? かけがえのない思い出というのは、こういうものなのかもしれない。

 

Toms1

 

 

 

 ところで、この日も私は目立たないように隠れているつもりだったのだが、麻田さんにステージに呼び出されて、本の制作に関わる話をさせられてしまった。エンディングの「Ol'55」でも、なぜかマンドリンで伴奏(?)をする羽目になったし。ほんとに裏方が出しゃばって申し訳ない。……なんて言いつつ晒すけれど。

 

Toms2

 

 

 

 もう1枚、トムスのスタッフの皆様との記念写真も。
(写真はトムス・キャビンのオードリー木村さんがアップしていたものを使わせていただきました)

 

 「まだトムスは続けようと思っているので、みなさん見に来てください」と最後に熱く語った麻田さん。そう来なくっちゃ! これからのご活躍も楽しみにしておりまする。

2019年2月 7日 (木)

2018年のラジオ出演リスト

 こちらもずいぶん書くのが遅れてしまった。FMラジオ「A・O・R」で私が関わった、2018年のアメリカン・ルーツ・ミュージックがらみの特集一覧。

2018年「A・O・R」ワールド・ミュージック・エディション

  1月11日 フィドル特集
  2月8日 テックスメックス特集
  3月15日 フォーク・ソング特集
  5月24日 マディ・ウォーターズ特集
  7月12日 ブルー・ヨーデル特集
  8月23日 ペダル・スティール・ギター特集
  10月18日 ディプレッション・ソング特集
  12月13日 ボブ・ディラン特集

 始めた頃はジャンルや地域別の特集、楽器の特集ばかりだったけれど、4年めに入ってネタがつきたこともあり、個人別の特集、時代ごとの音楽ムーブメントの特集へと変わってきた。たとえば「ブルー・ヨーデル」「ディプレッション・ソング」は、時代に注目したテーマの例だ。「フォーク・ソング」もそうかな?

 個人的にはこの視点はわりと面白いのではないかと思っておるのだが、本放送ではイマイチこちらの意図が伝わっていないもどかしさも、なきにしもあらず……。いっそ本にまとめたほうがいいのかな?

 さて、番組改変期を迎える4月以降もお呼びがかかるかどうか? 刮目して待とう^^;

2019年2月 6日 (水)

工事は続くよいつまでも

 隣の中学の建て替え工事はまだ続いている。

 あれから校庭の様子もだいぶ変わった。前回のレポートのすぐあとに、例の樹木の一時保管場所だったスペースには物置小屋が建った。小屋ごとトラックで運んできて、ドーンと置いていったので、あっという間にでき上り。へ~、その場で組み立てるんじゃないのか~。墨俣城もびっくり。

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 その隣のスペースを、またショベルカーでほじくりかえしているかと思ったら、地面にお堀みたいなくぼみが……。こちらは側溝にでもなるのかしらね?

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2019年2月 4日 (月)

『聴かずに死ねるか!』制作ノート(終)

◆著者名について

 だらだらと書き連ねてきた制作ノートも、とりあえず今回で打ち止め。やはり最後に著者名のクレジットについてふれておいたほうがいいような気がする。麻田さんの自伝なのに、なんで私の名前が入っているか気になる方がいらっしゃるかもしれないし。

 最初に編集の坂口さんと二人で打ち合わせたときに「自伝でいきたい」と言われた話は、すでに書いた。そのときに、「じゃあクレジットはどうなるんでしょう?」と尋ねると、「麻田さんの単独名にしたい」と返された。明確にゴーストライターという言葉は出なかったけれど、早い話がそういうことだろう。

 予期せぬ話にポカーンとして、そのときはそのまま引き下がった(気も弱いのでね^^;)。それでもしょうがないのかといったんはあきらめかけたのだが、作業を進めているうちにやっぱりヘンだと思い直した。一人で悩んでいてもラチが明かないので、麻田さんに相談してみようか。

 おりよく2人きりになる機会があったので(カレーライスごちそうさまでした!)、「クレジットに私の名前も入れてもらいたいと思ってるんですよ」と切り出すやいなや、「そりゃそうだ。ぜったい言ったほうがいいよ」と麻田さん。やっぱり言ってもよかったんだ!

 この言葉に勇気をもらって、「私の名前も入れてもらえませんか」と交渉したところ、あっさり「そのつもりでいます」だって。え? いつのまにか状況が変わっている。もしかして最初から私の勘違いだったってことはないよな? あるいは麻田さんが裏で根回しをしてくださったとか……。

 真相はいまだにたしかめていない。こちらから尋ねることも、きっとないだろう。私の勘違いだったという結論が、いちばん平和でいいかもしれない。真相がどうあれ、麻田さんのあのひとことに対する感謝の気持ちは変わらないけれど。

 ともあれ、この段階では共著になるとは思っていなかった。よくある「編集・構成」あるいは「企画・構成」のようなクレジットで名前が入るものだとばかり思っていた。共著になることを知ったのは、表紙の見本が上がってきた12月3日の時点だ。その前に、前書きやプロフィルを書くように言われた時点で、気がついてしかるべきだったのかもしれないが、まったく予期していなかったもので……。

 この前書きも、てっきり麻田さんが書くものだとばかり思っていたら、「最初に客観的に麻田さんを紹介する文章がほしいから」ということで、急遽お鉢が回ってきた。お断りする理由もないので、ありがたく引き受けさせていただいたけれど、それなりに恐縮はしている。

 そんなわけで、共著になった理由は、結局よくわかっていないのだが、麻田さんをはじめとする関係者の皆様に気を使っていただいた結果ではないかと解釈している。ただひたすらにありがたい。

 結局、私の中では、ゴーストライター→編集者→著者と、三段跳びのステップアップがあったことになるが、多くの読者にとってはどうでもいい話のようにも思う。そんな些末なことより、麻田さんの本が出たという事実のほうが重要であるに違いない。

 トムス・キャビンのコンサートにはずいぶお世話になってきたから、この本を作る過程はとても楽しいものになった(たいへんなことも多かったけれど)。願わくは、この本を読んだ皆さんとも、この楽しさをわかちあえますように。

2019年2月 3日 (日)

『聴かずに死ねるか!』制作ノート(7)

◆証言をめぐる行き違い

 10月下旬の原稿整理のあとは、PDFによる校正、ゲラ刷りによる校正(これでほぼ校了)、さらにダメ押しのPDF校正があって、無事1月18日に出版の運びとなった。この間の経緯も書こうと思えばいろいろ書けるのだが、やや冗長にすぎるので割愛させていただく。

 以下は本文以外の制作に関わる話。

 私はレイアウトや写真の選定にはかかわっていないため詳細は不明ながら、表紙になったDGQのリハーサル風景(神田共立講堂)は得能通弘さんが撮影されたものだそうな。当初、麻田さんは「SING OUT」誌のパロディを表紙にするアイデアを持っていて、本文1ページめの口絵風の写真が、その名残だったりする(元ネタは16ページに掲載)。 「SING OUT」はデザイン的に優れた雑誌とは言い難いし、だいたんにトリミングされたDGQの表紙はとても印象的で素敵だしで、やはりこちらが正解だった気はする。

 巻頭、および本文中のミュージシャンの写真も、おおむね得能さんと桑本正士さんによるものだろう。個人的にお気に入りの釣りをするエイモス・ギャレットさんの写真は、桑本さんが撮られたもの。とにかく、ほとんどの写真が初めて見るものばかりで、これを掲載できたおかげで、本書の価値はグンと高まったと思う。

 トムスのプログラムやTシャツの写真をまとめたカラー・ページは、編集の坂口和樹さんのアイデア。本のデザインをトムスゆかりのマーチン荻沢さんにお願いしたのも坂口さんのはずだ。トムスのパンフレットにも通じる本書のデザインのテイストは、きっとトムス・ファンの心をくすぐるに違いない。この起用も大ヒットだったのではないかと思う。ちなみに荻沢さんは、本書P.229~230のアシュラさんの証言にも登場している。

 そのアシュラさんの証言や、バラカンさんとの対談も坂口さんの提案だったと思う。

 バラカンさんとの対談は、本書の中ではいちばん順調に進んだかもしれない。録音テープから起こしたほぼそのままで(話の流れをわかりやすくするために一部順番を入れ替えたところはあるものの)、校正の直しもほとんどなかった。せいぜいバラカンさんの指示に従って、ミュージシャン名のカタカナ表記を改めたくらいである。

 これに対して、アシュラさんの証言のほうはいろいろあった^^;

 最初にこの企画の話が出てきたときには、ツアーの裏話的なエピソード以外に、アシュラさんのフィルターを通した麻田浩像についてもいろいろうかがいたいと思っていた。評伝と違って自伝のスタイルだと、客観的な視点がどうしても不足しがちになる。そこで、長年にわたりトムスと深く関わってきたアシュラさんの証言を通して、麻田さんのアナザ・サイドに迫れたら面白いのではないかと考えたわけだ。

 実際に、興味深いお話はたくさん聴けたのだが、編集の坂口さんからこちらの意図がちゃんと伝わっていなかったようで、……というよりも、私と坂口さんの思惑がもともと違っていたせいかもしれないけれど、最初の原稿を読んだアシュラさんはずいぶん当惑されたようだ。結局、採用された原稿はアシュラさんが全面的に書き直したものになった^^; 私がこの事実を知ったのは、レイアウトが上がったあとの最後の校正の時点である。時すでに遅し……。

 ダメ出しを食らった当初の原稿では、周囲を巻き込みいろいろと迷惑をかけつつも、なぜか憎めない麻田さんの魅力的なキャラクターがくっきりと浮かび上がってきて、すごくよい内容だったと思うのだが。まあ、麻田さんに遠慮したアシュラさんの気持ちもわかるし、ここはいさぎよくあきらめるしかないのだろう。

 トムスの倒産に関しても、麻田さんとは別の視点でその経緯が述べられていて、いっしょに読めば、よりわかりやすかったのではないかと思う。たとえばトムスのどこに問題があったのかとか……。とはいえ、アシュラさんが書き直した原稿も、それはそれで充分に面白いのだけれどね。

2019年2月 2日 (土)

『聴かずに死ねるか!』制作ノート(6)

◆二正面作戦決行

 原稿整理の話の続き。

 敬体文から常体文へ変えるとはいえ、大幅な改変はしたくない。また、完全に著述風の文体にしてしまうのも気がとがめたので、ところどころ違和感のない程度に、話し言葉のニュアンスもとどめるようにした。

 これと並行して文章の校正も行なう。--というよりも、本来はこちらのほうがメインの作業だ。新しく追加になった箇所も多かったため、実際には校正というよりは校閲で、誤字・脱字のチェック、表記の揺らぎの統一はもちろん、論旨の不明瞭なところや、論理の矛盾などにも気を配りつつ、ファクト・チェックもまとめて片付けた。

 麻田さんの本で当のご本人に話をして(あるいは書いて)もらったのだから、これ以上の一次資料はないはずなのだが、誰しも記憶違いや勘違いはあるから油断はならない。麻田さんは当時の日記等を参照して話をされている様子でもなかったので、念のためになるべく二次資料や周辺資料もあたって事実確認をするようにはした。

 このファクト・チェックは、初稿の執筆時点でもそれなりにやってはいたのだが、麻田さんの追加分に関しては、短い期間で、それも文体の書き換えと同時にあわただしく進めたため、正直不安がないでも……。もっとも、綿密に校閲をしたつもりでいても、見落としが起きることはままあるのだけれどね^^;

 なにはともあれ、11月2日になんとか原稿整理を終えた。これでほっとひと息……とはまだいかない。本文以外の仕事もまだ残っているのだった。

 今回は編集業務の紹介に終始してしまった。もうちょっと興味の持てそうな話に戻して、あともう1、2回で終わります。たぶん。

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