シャンセリゼでバンジョーを
今日ではあまり知られていない事実だが、かのフランスでもかつてバンジョーが注目された時期があった。
まずは19世紀半ば頃からのミンストレル・ブーム。はるばる大西洋を渡ってやってきたアメリカのミンストレル芸人たちが、パリのミュージック・ホールにも出演し、おおいに人気を博した。もちろん彼らが携えてきたバンジョーは、ネックの途中によけいなペグの突き出た5弦バンジョーだった。
余談ながら、印象派の作曲家、クロード・ドビュッシーも、このミュージック・ホールのショウを楽しんでいたそうな。一番のお気に入りは、イギリスから来た白人道化師とキューバ生まれの黒人のコンビ、フッティ(Footit)&ショコラ(Chocolat)。やはり2人ともバンジョー奏者だった。彼らもおそらくミンストレル・スタイルの演奏や踊りを披露していたのだろう。
こうしたミュージック・ホール体験の影響か、ドビュッシーはミンストレル・ショウ起源と言われるケークウォークの曲をいくつか書いている。中でも有名なのは、組曲『子供の領分』の「ゴリウォーグのケークウォーク」だろう。そのものズバリ「ミンストレルズ」というタイトルの曲もある。
話を戻して。フランスの第2次バンジョー・ブームは、ジャズ・エイジと呼ばれる1920年代から30年代にかけて訪れた。こちらの主役は、4弦のテナー・バンジョーと8弦のマンドリン・バンジョー。さらに6弦のギター・バンジョーも使われたとか。
この時期には、フランス製のバンジョーもたくさん作られたようだ。米英製のバンジョーとはひと味違った粋なデザインには、独特の魅力がある。とくにマンドリン・バンジョーは、フランスで独自の発展を遂げたようだ。アコーディオンの伴奏楽器として、ミュゼットで使われるようになったのが大きかったと思われる。
さて、こうしたブームも過去のものとなって久しい1975年。フランスのレーベルから、突如、興味深いアルバムが発売された。『BANJO PARIS SESSION』(CEZEMA 1975)。ビル・キースとジム・ルーニーという2人のアメリカ人ミュージシャンがパリに渡り、地元のブルーグラス系プレイヤーたちとセッションしたアルバムである。ミンストレル・ショウともジャズやミュゼットとも直接関係のない新たな試みだった。
一聴しての印象は、ニューグラス風あり、グリスマンのオーパスなんとか風あり、エリアコード風のエレクトリック・サウンドあり、ブルーグラス・アライアンス風の脱力系コーラスあり……という感じ。正直、はっとさせられるような演奏はあまりない。肝心のバンジョーも、ビル・キースと他のプレイヤーとの力量差が目立ってしまうのが気になるものの、それでも関係者の熱意は充分に伝わってくる。
ハイライトは、フェリックス・アーントのピアノ曲をバンジョー・ピースにアレンジした「Nola」あたり。この演奏は、やはりビル・キースだろう。キース・チューナーを多用した十八番の「蛍の光」も、最後にさわりだけ登場する。若き日のピエール・ベンスーザンがマンドリンで参加している(リード・ギターも?)のも、ファンには見逃せないかもしれない。
ところで、このセッションのキーマンだったビル・キースが、ジム・クエスキン・ジャグ・バンドのリユニオン・ツアーで、久々に来日するという。これに合わせて、JAPAN BANJO SESSIONなるイベントも開催されるそうだ。これって、BANJO PARIS SESSIONを意識したタイトルじゃないのかな?
http://www.officek.jp/idaten/ybf/
日本を代表する(--というか、世界的にもトップクラスの)バンジョー奏者、有田純弘さん、原さとしさんを筆頭に、歴代バンジョープレイヤーコンテストの優勝者を交えての一大セッション。これはきっとすごいことになりそうな予感。
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