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2013年2月10日 (日)

レスポール序章(前編)

 レスポールについて、もう少しだけ。最後にレスポールの誕生の経緯を、あらためて探ってみたい。

 ご存知の方も多いと思うが、ギブソン・レスポール・モデルは、当時絶頂を極めていた革新的なギタリスト、レス・ポール(レスター・ウィリアム・ポールファス)のミュージシャン・モデルだ。このギターにレス・ポール本人のアイデアが活かされているのは間違いないとして、その貢献がどれほどのものだったのかは、諸説紛々の観がある。

 その真相を知りたければ、やはり1次ソースに当たるのが定石だろう。レス・ポールのロング・インタビューが掲載された[1]「ザ・レスポール」(プレイヤー・コーポレーション 1981)は、中でも重要な資料といえる。

Lespaulmag

 もう一方の当事者であるギブソン社、とりわけ当時の最高責任者だったテッド(セオドア)・マッカーティの証言は、[2]「ザ・ギブソン」(リットーミュージック 1992)のテッド・マッカーティ・インタビューに詳しい。これにギブソン社のジュリアス・ベンソンが著わした社史[3]「THE GIBSON STORY」(1973)、ウォルター・カーターの大著[4]「GIBSON GUITARS 100 YEARS OF AN AMERICAN ICON」(Gibson Guitar Corp. 1994)などの記述を加えて、適宜補っていくことにしよう。

Thegibson

 まずレス・ポールが初めてギブソン社にコンタクトをとった時期だが、これはレス・ポールによれば1941年。自作のソリッド・ギター、ザ・ログをギブソンに売り込みに行ったものの、このときは、けんもほろろの対応をされたという。当時ギブソンを傘下におさめていたCMIの社長M・H・バーリンには、「ピックアップをつけたホウキの柄を売りつけに来た」とまで酷評されたとか[1]。ちなみに、この時点ではまだテッド・マッカーティはギブソンの人間ではない。当時はピアノ・メーカーのウーリッツァー社で働いていたようだ[2]。

 2度めのコンタクトは47年。レオ・フェンダーのソリッド・ボディ・エレクトリック・ギターに驚いたギブソンが、レス・ポールのところへやってきたという[1]。この時点でも、まだテッド・マッカーティは入社していないはずだから、訪ねてきたとしたら別人ということになる。

 実際に交渉が成立したのは50年。このときはテッド・マッカーティが、レス・ポールの住む山荘を訪れて、契約をまとめた[1][2]。

 一方、「3」「THE GIBSON STORY」にレス・ポールの名前が初めて登場するのは、51年。「初めてのオール・ゴールド・フィニッシュのエレクトリック・ギター(ES-295の前身)が、レス・ポールから障害のあるギタリストへ手渡された」という、前後の脈絡のない記述が唐突に出てくる。

 ES-295は、オリジナル・レスポールとよく似た仕様を持つ(レスポールのパイロット版と言ってもいい)エレクトリック・アーチトップ・ギターだった。この事実を踏まえつつ、当時のギブソン社とレス・ポールの良好な関係を示すエピソード、ということで挿入されたのだろうか?

 なお、レス・ポールは48年1月に自動車事故を起こし、右腕を損傷している。このケガは、一時はギタリスト生命を奪われるかと思われたほどのものだったが、1年半かけてリハビリに成功。51年の時点では完全復帰していたはずだ。

 --というところで、ここまでの経過を年譜にまとめてみよう。

1941
 レス・ポール、自作のソリッドボディ・エレクトリック・ギターを持ってギブソンを訪ねるも、交渉決裂(レス・ポール談)

1947
 ポール・ビグスビー、マール・トラビスのためにソリッドボディ・エレクトリック・ギターを製作

 ギブソンとの交渉再開(レス・ポール談)

1948
 レス・ポール、自動車事故(1月)

 レオ・フェンダー、テレキャスターの製作を開始(「ザ・テレキャスター&アザー・ギターズ」リットーミュージック)

 テッド・マッカーティ、ギブソンに入社

1950
 フェンダー・エスクァイヤー発売(4月)

 フェンダー・ブロードキャスター(後のテレキャスター)発売(10月)

 ギブソン・ソリッドボディ・ギターの原型が作られる

 ギブソンのテッド・マッカーティがレス・ポールの山荘を訪ねる。契約締結

1951
 ES-295のプロトタイプが登場

1952
 レスポール発売

 50年のレス・ポールとテッド・マッカーティの交渉以降は、両者の証言がほぼ一致しているため、まず問題はないだろう。気になるのは47年の交渉再開のくだりだ。この交渉は自動車事故以前のことだったとレス・ポール自身は語っている[1]。だとすれば、交渉の時期は47年で間違いないと思われる。引っかかるのは、「レオ・フェンダーが例のギターを発表して、慌ててギブソンが私のところへやってきたんだ」[1]という証言だ。

 レオ・フェンダーが47年以前に「例のギターを発表」したというのは、いささか時期が早すぎるような気がする。もしかしたら、この証言はレス・ポールの勘違いで、ギブソンがレス・ポールと再び話し合う気になったのは、ビグスビーのマール・トラビス・モデルの影響かもしれない。

 「レオ・フェンダーは、マール・トラヴィスの持っていたビグスビーのギターをコピーして、本格的な生産に乗り出そうとしていた。これは一大事ということで、我々も生産に乗り出すことにしたんだ」[2]とテッド・マッカーティも語っているように、フェンダーの動きにギブソンが衝撃を受けたのは事実だろうが、それはもう少しあとのことではないか。

 「(ソリッドボディ・ギターの)開発にはかれこれ1年か、それ以上かかった」[2]とも語っていることから、フェンダーの衝撃がギブソンを揺るがしたのは48年のことではないかと推測する。

 そしてやっと完成した試作品のギターを携えて、テッド・マッカーティがレス・ポールの山荘を訪ねたのが50年。--というところで、肝心の50年の会談の検証は、後編へと続く。

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