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2012年12月15日 (土)

ジェフ&エイモスの思い出

 いまや伝説となったジム・クエスキン・ジャグ・バンド(JKJB)の再結成ツアーが、来年4月に実現するという。

 そのメンバーがすごい。ジム・クエスキン(ギター、ボーカル)、マリア・マルダー(ボーカル)、ジェフ・マルダー(ギター、マンドリン、ボーカル)、ビル・キース(バンジョー)、リチャード・グリーン(フィドル)--と、ほぼ『ガーデン・オブ・ジョイ』期のままの黄金メンバーだ。これにジャグの名手、故フリッツ・リッチモンドさんが加われば完璧とはいえ、それを言っても詮無きこと。

 招聘するのは、もちろん麻田浩さんのトムス・キャビン。それぞれのメンバーの来日ツアーを何度も企画してきたトムスだからこそ実現できた、夢のコンサートと言っていい。

 そんなわけで、JKJB来日記念。2010年10月のジェフ・マルダー&エイモス・ギャレットの来日ツアーの個人的思い出などをごちょごちょと。幸いにもこのときは、トムス・キャビンのご好意で、ジェフ&エイモスに単独インタビューすることができたのだ。

 取材日は2010年10月7日。ツアーの中で1日だけ空いたリハーサル日ということで、目黒のヴィヴィッドサウンド・スタジオを訪れてリハの様子を見学。そのままインタビューを敢行した。

 当時のmixi日記から少し引用する。

 エレベーターを上がると、さっそくギターの音が聞こえてきた。スタジオのドアを開け放って、いかにもリラックスした雰囲気の練習風景だ。ブラスバンドとのリハーサルはすでに終わっていたようで、ジェフ&エイモスのほかには、キーボード、ベース、ドラムスの3人のバック・ミュージシャンがいるだけだった。
 以前にラ・カーニャのソロ・ライブに行ったときは、お客さんがいっぱいで、ほとんどエイモスさんの頭のてっぺんしか見られなかったから、こんなに間近にあのギター・プレイを見られるなんて、まるで何年越しの恋が成就したかのような気分だ。ペダル・スティール風のマルチ・ベンディングの指使いは、やっぱりすげ~。
 それにしても、不思議な弾き方をするよなぁ。サムピックをつけているけれど、コード・カッティングのときは人差し指か中指でさらさらとなでているような感じだし。

 インタビューは、ジェフさんの「I don't know Bob Dylan」というひとことで始まった。「ディランのことは聴くなよ(Robin超訳)」だって。いきなりきつめのジャブだよなぁ。もちろんそんなことを聴くつもりはなかったのだけれど、この一撃でペースを乱されてしまった。「こりゃうかつなことは聴けないな」というプレッシャーが……。あとで録音テープを聴き返すと、それなりに聴きたいことは聴けてるし、ジェフさんの回答も充分真摯なものではあるのだが、その場ではけっこうドキドキだったのだ。オレもまだまだ修行が足りんな~……。

 インタビューの詳細は、「アコースティック・ギター・ブック32」(シンコー・ミュージック)をご覧いただくとして、紙数の都合で載せきれなかった中から面白そうなところを、こっそり貼り付けておく。

Geoffamos

 これが掲載記事のタイトル部分。困ったことに、思いっきり名前のスペルが間違っている。ジェフさんのファースト・ネームは、JeffじゃなくてGeoffなのだ。これ見たら絶対あきれるな、ジェフさんのことだから。「やっぱりあいつはダメだった」みたいな^^; 私はカタカナで書いておいたのに、レイアウターの方がデザイン上の都合でアルファベットにしたために起きた間違いだと思う。言い訳をさせてもらうと、当時この雑誌では著者校正はなかった。原稿書いたら書きっぱなし。時間のない雑誌の編集では、こういうケースがわりと多いのだ。だいたいフィフティ・フィフティくらいの割合でそうかな?

 長くなったので、実際のインタビューはコメントに続く。

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コメント

●ジャグバンド以前

――ジェフさんはブルース・ギターから始めたんですか?
ジェフ:いや、ブルースも弾いたけど、カリプソのほうが多かったね。私がギターを始めたのはずいぶん遅かったんだ。15歳か16歳の頃でね。ハイスクールでグンベイ・リズム・キングスというバンドを組んでカリプソを演奏してた。ブルースにのめりこんだのは、マサチューセッツ州ケンブリッジの大学に入ってからだよ。
――ボストン大学ですか?
ジェフ:ああ。ちょっとの間しかいなかったんだけどね。すぐにニューオリンズに移ったんだ。フレンチ・クォーターに住んでいたあこがれのミュージシャンに会いに行ったりしてね。私の最初のギグもそこでやったんだよ。
――どんな人たちがいたんですか?
ジェフ:クラリネットのジョージ・ルイス、トロンボーンのジム・ロビンソン、バンジョーのエマニュエル・セイルス、ドラムのポール・バーバリン、ベースのアルサイド“スロー・ドラッグ”パヴァジョー……。みんな、グレイト・ヒーローだ。キッド・トーマスやキッド・ハワードも。フレンチ・クォーターでは、夜遅くまでバンドが演奏していてね。ほんとにご機嫌だった。クラレンス“フロッグマン”ヘンリーは、小さなバーの片隅で毎晩ピアノを演奏してた。セント・ピーター・ストリートやバーボン・ストリートでね。それから、夜遅くにモダン・ジャズを聴きに行ったりもしたよ。ウィントン・マルサリスのお父さん(エリス・マルサリス)なんかを見にね。でも一番素晴らしかったのは葬式の音楽だった。ユニフォームを着た黒人のミュージシャンで構成されたマーチング・バンドのね。
――セカンドラインのリズムでストリートを練り歩くあれですね?
エイモス:クシロって知ってるかい?
――クシロ……ですか?
エイモス:北海道のクシロだよ。
――ああ、釧路ですね!
エイモス:釧路はニューオリンズの姉妹都市なんだ。たしか10年か15年くらい前からね。それでニューオリンズのマーチング・バンドが釧路に来るんだ。いまでは釧路の高校の生徒もセカンドラインを演奏するんだよ。
――そうだったんですか……。
エイモス:日本のことは何でも聞いとくれ(笑)。
――話をもどしましょう。ジャグバンドもその頃から聴いてたんですか?
ジェフ:いや、まだ聴いてなかった。ジャグバンドはケンブリッジに戻ってからだな。クレージーな連中がケンブリッジに集まったんだよ。私はニューオリンズから帰ってきたし、ジム・クェスキンはカリフォルニアから帰ってきた。みんなを集めてジャグバンドを結成したのはジム・クェスキンのアイデアだったんだ。フリッツ・リッチモンドをジャグ奏者にしてさ。ジム・クェスキン・ジャグ・バンドはジャグに限らず、いろんなジャンルの音楽を演奏したんだ。ただ、ほかの誰もがかなわないようなジャグ奏者がいたっていうだけでね。

●80年代~90年代

――80年代のジェフさんは、演奏活動から離れてたように見えるんですが?
ジェフ:ああ。15年ほどやめていた。デトロイトで働いていたんだ。ビッグ3(大手自動車会社)が使うソフトウェアの受注開発のビジネスをしていた。オフィスを構えてプログラマーとチームを組んで。ネクタイにスーツ姿でさ。そうやって子どもたちを学校に行かせたんだ。
――なるほど。活動を再会したきっかけは?
ジェフ:友人のボビー・ニューワースがパティ・スミスのレコーディングのためにデトロイトにやってきて、私のオフィスに立ち寄ったんだ。「君のやってることは君以外の人間でもできるような仕事だと思わないか?」と聴くから、「まあそうだろうね」と答えたよ。そうしたら「君のように歌い、君のような音楽を作る人間がほかにいると思うか?」って。「OKわかったよ」。それからイタリアに連れて行かれたんだ。これがきっかけでカムバックした。1997年の終わりから98年にかけて録ったのが、17年ぶりのアルバムになる"THE SECRET HANDSHAKE"だよ。

 以下、蛇足の感想。

 ジム・クエスキン・ジャグ・バンドは純粋なジャグバンドというよりは、フリッツ・リッチモンドさんという傑出したジャグ奏者をフィーチャーした、よりジャンルの広い音楽を演奏するグループだという説明には、軽い衝撃を受けた。なるほど~!

 ニューオリンズのいきいきとした描写にもわくわくさせられたけれど、出てきたミュージシャンの名前の本来の発音と、日本でのカタカナ表記との違いが大きく、誰だか見当つけるのにずいぶん苦労した覚えが……。

 そういえば、ジェフさんはリハーサル中に「ポカリスエット2本!」なんて注文してたっけ。ふ~む。ああいうの好きなのね……。

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